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2026-02-22

美しくも悲しい定年退職 ― 最終補給の記録 ―

定年退職は、長らく「自由への解放」として語られてきた。

だが、その実態は、解放ではなく補給の停止である。

これまで、毎月決まった日に補給船は現れた。

何も言わず、何も求めず、ただ確実に燃料と食料を積み込んでいった。

天候に関係なく、景気に多少の波があっても、その船は来た。

乗組員はそれを当然のものとして受け入れ、航路の先を疑うことはなかった。

しかし、ある日を境に、その船は来なくなる。

理由は単純だ。契約が終了したからである。

海は変わらない。

空も同じ色をしている。

だが、補給だけが止まる。

現在、退職者は海上の小さなボートにいる。

ボートの中には、水と食料が積まれている。

年金と、わずかな蓄えという名の保存食だ。

それは確かに存在する。

手を伸ばせば触れることができる。

しかし、その量は有限である。

問題は、消費期限が書かれていないことだ。

乗組員は、自らの寿命を知らない。

ボートがいつまで持つのかも知らない。

嵐が来るのか、凪が続くのかもわからない。

ただ一つ確かなのは、新たな補給船は、もう来ないという事実だけである。

この状態は「自由」とも呼ばれる。

誰からも指示されない。

航路も義務も存在しない。

しかし同時に、それは「無補給状態」でもある。

かつては、時間を使えば燃料に変わった。

体力を使えば食料が増えた。

だが今は違う。

どれだけ時間があっても、食料は増えない。

どれだけ努力しても、水は湧かない。

減るだけである。

退職とは、労働からの解放ではなく、

補給システムからの離脱である。

それは静かに始まり、

誰にも気づかれず、

そして確実に続く。

美しいのは、空が広いからだ。

悲しいのは、次の港が存在しないからだ。

航海は終わっていない。

だが、目的地も補給線もない航海が、

ただ、残り時間の分だけ続いていく。

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